「私は華原朋美の同級生です」

今まで自動車のことにつきまして色々記載してまいりました。この表題を見て、何のことかとお思いになることと思います。私は自動者学校で華原朋美の同級生でした。ちょっと無理があるかも知れませんが、華原朋美が絶頂期の頃、同じ自動車学校に通いまして、同じ教室で授業を受けたということです。ちょうど、Im,prideを歌っていた頃です。今はどうしているのでしょうかね。
その自動車学校は東京の方なら、すぐに分かる場所です。鮫洲運転試験場の前にありました。都心から近いということと、鮫洲運転試験場の前ということで、結構芸能人が通っていた自動車学校です。キムタクや、反町隆が、ナナハンの免許を取りにきていたと、教官から聞きました、今は、マンションになっていますが。
筆者は自動車に興味がありましたが、父親から、このようなことを言われていました。車を運転する人間ではなく、車を運転させるような人間になれということです。要はえらくなって、お付の運転手が着くぐらいの人間になれと言いたかったのです。不祥そのような人間にはなりませんでしたがね。
学校を卒業して上京したせいもあり、父の言葉もあったのが直接的な要因ではありませんが、都会では公共交通が発達しており、二輪の小型の免許はもっていましたが、自動車免許はもっていませんでした。30代後半になりまして、いずれはとりたいと考えていましたので、たまたま、自宅の近くの職場に転勤になったのを契機に自動車学校に通いました。
もう、40前、教室内では一番か二番目に年上の教習生でした。筆者は北海道の原野で父から、車の運転を多少習っていましたので、何とかなるかと思いました。最初の時限で教官から、「お宅、車の運転をしたことあるね」と言われまして、外周から、いきなりコース内にはいりまして、割とスムースに実科もこなしまして、40前にして自動車の免許を取った次第です。その免許を見ると「ゴールド」でした、ちょっと驚きましたが、二輪の免許で無事故無違反だったことから、ゴールドとのこと。若葉マークでゴールドかと不思議な感じはしましたけど、何か得した気分でした。同級生の華原朋美は、仕事が忙しかったのでしょう、そのうちに来なくなりました。
皆さんも経験があるかと思いますが、教官もさまざまな人がいましたね。無言で文句だけ言う人。気さくで丁寧な人などですね。さすがに足を蹴るなんて教官はいませんでしたけどね。まあ、いい経験になりました。
ある日、そこの自動車学校の教習生ではない見知らぬ集団が来ました。聞けば、大島から高速道路の実技のたるめに、泊り込みで来たとのこと。そういえば大島には高速道路はありません。島の人は大変だなと感心いたしました。
早速私は、新車を購入しまして東京の道を走りはじめました。はじめは、車線変更のタイミングが分からなかったりしましたが、もう、相当の年数もたちまして、まあ、そこそこに運転できるようになりました。
父の言う、運転手の着くような人間にはなれませんでしたが、ドライブは趣味の一つになりました。やはり、車のある生活は便利ですね。
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